
■大町 桂月(おおまち けいげつ)[1869~1925]
●本名:芳衛
●生まれ:高知市。
美文家として高名な大町桂月は、 土佐の藩士の子として生まれ、東京帝国大学国文科在学中から新体詩や文芸評論を書き、注目を集めていました。卒業後は教師や出版社に務めていましたが、全国を旅して書いた紀行文など多くの著書が有名です。なかでも「北海道山水大観」が著名。
大正10年(1921)に「中央公論」に発表された紀行文「層雲峡から大雪山へ」のはじめに「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山に登って山岳の大きさを語れ」の一文があり、この紀行文によって大雪山(層雲峡)が全国に紹介されました。
「層雲峡」はアイヌ語の「ソウウンベツ」にちなんで桂月が名付けました。
「人若し余に北海道の山水を問はば、第一に大雪山を挙ぐべし。次に層雲峡を挙ぐべし。大雪山は頂上広くして、お花畑の多き点に於いて、層雲峡は了崖の高く且つ奇なる点に於いて、いずれも天下無双也」

■野口 雨情 (のぐち うじょう) [1882~1945]
●本名:英吉
●生まれ:茨城県
野口雨情は、63年という生涯の中、2000近くに渡る沢山の詩を全国を巡りながら造り続けた歴史に残る詩人家です。 全国各地には、彼が残した詩をもとに作られた歌碑が数多く存在します。
層雲閣グランドホテルの露天風呂「宝石の湯」では、野口雨情が層雲峡に訪れた時に作られた詩、「大函小函」の歌碑が設置されています。

野口雨情は、明治15年(1882年)茨城県多賀郡、父
量平・母 てるの長男として生まれました。 明治40年に新聞記者として北海道で渡り、札幌の「北鳴新報社」入社、その時に知り合った石川啄木の紹介で層雲峡の存在を知り、この地で「大函小函」の詩を造ったのです。